後藤又兵衛殿!御活躍♪~
(((((((((((小松山合戦)))))))))))
慶長二十年(1615) 五月六日。。。
陽が昇り、霧が薄れはじめた。。。
大和より、大和川が大坂平地へ流れ込む狭隘の地。。。
それをふさぐかのようにコブが二つ三つと持つ玉手山丘陵。。。
その北端のコブに無数ののぼり旗。。。
『丸見えではないか』
又兵衛は、勝機をつかんだと小躍りしたであろう。。。
遅れをとった徳川軍が這い上がる。。。
地の利をもって、鋭意撃退
先陣をきることこそ、武将の本懐
この地で十倍の敵軍勢相手に八時間も戦いつづけた。。。
存分に大坂方先駆けを務めし後藤又兵衛基次公。。。
満足であったろう。。。
コブのように残る二号古墳より、一号古墳(小松山)を見る。。。
玉手山丘陵は、南北四キロすべてが古墳群で成り立つ。。。
その古墳群丘陵地は、今は、新興住宅街に占領されてしまった。。。
五号古墳の急坂を登る。。。
隊列がバラバラになり申す。。。
玉手山公園内七号古墳跡あたりに後藤公の碑。。。
決して、墓などはない。。。
余りの激戦にて、死傷者が続出。。。
大坂の陣供養塔も立つ。。。
赤円内が小松山陣地。。。
黄円内が玉手山公園。。。
住宅化した小松山。。。。
今回のハイキングに参陣致せねば、小松山合戦場をたどれなかったでござる。。。
それにしても、真田殿は、まだか。。。
先駆けこそ、武将の本懐!