難攻不落の二俣城
【二俣城】
天竜川を迂回させるようにある台地上にある山城。
戦国期になり、信州から、遠州への要所として、争われた。
1600年に廃城となる。
天竜川がくの字となり、流れている二俣。。。
戦国時代は、違いました。。。
地図上の右下からの二俣川が左方向ではなく、水色マーカーのように上方向へと
二俣城を囲むように天竜川へ流れていたらしい。。。
浜松市HPより、図を案内図に合わせてみました。。。
図の中心にあるのが二俣城、左端が前回紹介した鳥羽山城。。。
なんと、攻めにく場所に城があったものか。。。
それも標高90mの台地に築かれた本丸から、下を望むと峡谷であるのが解ります。。。
そして、反対側は、戦国期、川だったところが町になっています。。。
この二俣城は、武田と徳川が攻防をしたことでも有名なところ。。。
元亀三年、武田軍は、難攻不落の城に困り、崖にある水汲み櫓を筏を流し、壊して、水の手を切り、二か月ほどで陥落させました。。
どちらも力攻めが出来ず、峡谷の山城の強さが想像できます。。。
今でも、土手址がくっきりと解りやすく残っております。。。
天守台も残っております。。。
小さい山城と舐めてました。。。
あちらことらへと曲輪がありますが
最後の北曲輪で足が止まりました💦💦💦
この看板
冬の二月といえ、暖かい日和には、安心できません
《くわばら、くわばら》と撤退いたしました。。。
現代においても、厄介な難攻不落の二俣城でござる(=^・^=)💦
二俣城を攻めてみよ~>゜)~~~